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史実とフィクション

 今、大河ドラマ平清盛の時代考証担当者本郷和人さんの「謎とき平清盛」を読んでいます。

 

 読んでいると、本郷さんの時代考証担当者としての心構えや学者としての野心とプライドなどが感じられて大河ドラマがより一層楽しめそうです。本郷さんは時代考証という作業には3つの制約があると言っています。

 

①「画に」するためには、考証を逸脱することもやむを得ない。

 

 スタッフさんたちはよく「画にすると」と表現をするそうです。テレビ画面に実際に映すとどうなるかということですね。考証の細部に拘りすぎて面白さや見栄えを損なってしまっては本末転倒。例としては、清盛が白河上皇の前で舞を披露するシーン。本当なら天皇が正面で見ていて、白河上皇は脇でみている程度なはず。だけどそれでは清盛と上皇との対面、対決というドラマが盛り上がらないので史実に譲歩いただく。

 

②あくまでもストーリーが主で、時代考証は従

③時代考証は、制作に関わる仕事の一つにすぎない。

 

 本郷さんは清盛のご落胤説をとりません。でも、あくまで脚本家が主であり細部の歴史情報を調べて、それを盛り上げるのが考証の役割で、分をわきまえ、そこでとどまるべき。そうでないとストーリーを台無しにしてしまうから。

 時代考証の担当者は「先生」と呼ばれる大学教員が多い。だから「現場がいうことを聞いてくれないんだよ」と愚痴っちゃったりするけれど、そういう勘違いはしない。

 

 もっと細かく色々書いてあり具体例に富んだ面白い文章なのですが、私が要約するとそうは思えなくなっちゃいますね。ただ言い訳をさせていただくと、全部書いちゃうと著者や出版社に悪いので、買ってくださいとしか言えませんね。面白いので買う価値はあるかと思います。

 

 この3点を制約として時代考証の仕事をしている本郷さんですが、どうしても学者として許容出来ない根本的な誤り、例えば大河ドラマ北条時宗で関白近衛基平が天皇の御前で切腹したようなシーン。これは私もあり得ないと思ってみた時は愕然としましたが、穢れを何よりも嫌う朝廷で、上級貴族が御所を血で穢すなどあり得ない。そのような誤りには職を賭して異議を唱える覚悟だそうです。

 

 読んでいて面白いし考えさせられる本です。ドラマだったら面白ければ良い。歴史の研究だったら資料から着実に積み上げたものだけで組み立てていけばいい。でも歴史ドラマ、しかも大河ドラマとなると面白さと史実に近い歴史像を両立させないといけません。これはなかなか困難な作業です。

 

 上手いたとえが浮かびませんが、例えていうなら病院の食堂みたいな感じでしょうか。コックさんは美味しい料理を作ればいい。栄養士さんは栄養バランスを重視する。でも、美味しくなくて食べてもらえなければ本末転倒ですよね。美味しさの為に、どの程度まで栄養バランスを犠牲にするかという点でのせめぎ合いみたいな感じでしょうか。

 

 何事も加減ですよね。美味さだけを求めていたら成人病になっちゃうし、でも栄養だけ考えて減塩食ばっかりでも心がやせ細ってきちゃう。母の入院から現在までにいたる食事事情なんかを思い浮かべながらそんなことを考えちゃいました。

 

 大河ドラマ平清盛は今のところその両立を許容範囲内で果たしていると思います。そりゃあ歴史通の方からの突っ込みどころはあるでしょう。中途半端な知識の私ですら毎回何点かの突っ込みどころは見つけますので、大河ドラマフリークをやって感じですが、これは許されない!って線は越えていないんじゃないでしょうか。そのうえで毎週楽しみなくらい面白いんですから、近年まれに見る良く出来た大河ドラマと言っていいんじゃないでしょうか。来週も楽しみです。